遺言書はなぜ日本に根付かないのか|家制度と家督相続が生んだ相続文化、現代の争族リスクを読み解く

相続・遺言

「うちは長男が継ぐものだから」——そう口にする家庭は、今でも少なくありません。しかし、その「なんとなくの了解」だけで相続の話し合いが本当にまとまるかといえば、現実はそう甘くないケースが増えています。

日本の遺言書作成率は、公正証書遺言だけで見ると死亡者数のわずか7〜8%程度、自筆証書遺言を含めても10〜15%程度にとどまります。一方、欧米では過半数の人が生前に遺言を用意しているといわれています。この差はどこから生まれたのでしょうか。

答えの鍵は、明治時代に作られ、戦後に廃止されたはずの「家制度」にあります。この記事では、日本人がなぜ遺言書を書いてこなかったのかを歴史的に読み解き、家族のかたちが多様化した現代においてなぜ遺言書が必要なのかを、欧米の文化との比較を交えて解説します。

※本記事は一般的な情報提供を目的としており、法律・税務相談ではありません。個別の案件については、専門家(弁護士・税理士・司法書士)にご相談ください。記事内の情報は作成時点のものであり、法改正等により変更される場合があります。

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  1. 日本に遺言書が根付かなかった理由——「家制度」という発明
    1. 個人の財産ではなく「家」の財産だった
    2. 遺言書が「不要」だった社会構造
  2. 明治民法の「家督相続」——長男がすべてを継ぐのが当たり前だった時代
    1. 家督相続の3つの特徴
    2. 「家」を守るための仕組み
  3. 戦後、家制度は消えたのに「長男が継ぐ」感覚だけが残った
    1. 昭和22年民法改正で家督相続は廃止された
    2. 意識の中で生き続けた「長男が継ぐ」感覚
  4. 遺言先進国イギリス——遺言書は「紳士のたしなみ」
    1. 生前に準備するのが当然という文化
    2. 遺言は「家族への準備」という価値観
  5. アメリカの「リビングトラスト」文化——遺言は自己責任の当然の準備
    1. 生前信託という選択肢
    2. 「自分の資産は自分で設計する」という前提
  6. 数字が語る差——日本の遺言書作成率は欧米の何分の一か
  7. 家族が多様化した今、「なんとなく長男に」が通用しない
    1. 変わり続ける家族のかたち
    2. 「なんとなく」が通用しない具体的な理由
  8. 「家」の感覚のまま相続すると起きる争族の具体例
    1. 「実家は長男が継ぐもの」という思い込みの衝突
    2. 再婚家庭・おひとりさまの想定外の相続人
    3. デジタル資産が「争族」を長期化させる
  9. デジタル終活という新しい「準備」のかたち
  10. よくある質問
  11. まとめ——「家」の時代から「個人」の時代の相続へ

日本に遺言書が根付かなかった理由——「家制度」という発明

個人の財産ではなく「家」の財産だった

現代の私たちは「財産は個人のもの」という前提で相続を考えます。しかし、明治31年(1898年)に制定された旧民法では、財産は個人のものである以前に「家」のものでした。

家長(戸主)が家全体の財産と権利を管理し、その地位と財産をまるごと次の代へ引き継ぐ「家督相続」という仕組みが法律で定められていたのです。誰が何をどれだけ相続するかは、話し合いや個人の意思ではなく、「長男が家督を継ぐ」という制度によってあらかじめ決まっていました。

遺言書が「不要」だった社会構造

家督相続の制度下では、財産の分配方法は生まれた瞬間からほぼ確定していました。長男が家業・不動産・仏壇や墓まで一括して継ぎ、他の子どもたちは家を出て独立するのが当然とされていた時代です。

このような社会では、「自分の財産を誰に、どう残すか」を個人が考える必要そのものがありませんでした。遺言書という制度が普及しなかったのは、単に「知らなかったから」ではなく、「必要とする状況がそもそもなかったから」だといえます。


明治民法の「家督相続」——長男がすべてを継ぐのが当たり前だった時代

家督相続の3つの特徴

明治民法の家督相続には、現代の相続感覚とは大きく異なる特徴がありました。

  1. 単独相続が原則 — 財産は分割されず、家督相続人(多くは長男)が一括して継承する
  2. 戸主の地位も継承 — 財産だけでなく、家族を統率する戸主という「地位」も引き継がれる
  3. 法定の優先順位が明確 — 長男が優先され、次男以下や女子は基本的に対象外とされていた

この制度のもとでは、相続をめぐる話し合いという概念自体が希薄でした。「誰が継ぐか」で揉める余地がほとんどなかったからです。

「家」を守るための仕組み

家督相続の目的は、個人に財産を公平に分配することではなく、「家」という単位を存続させることにありました。先祖代々の土地や家業を分割せずに次世代へ引き継ぐことで、家の存続そのものを法律が保証していたのです。

この発想は、農地や家業を細分化させないという点では合理的でしたが、個人の意思や多様な家族関係を反映する仕組みではありませんでした。


戦後、家制度は消えたのに「長男が継ぐ」感覚だけが残った

昭和22年民法改正で家督相続は廃止された

第二次世界大戦後の昭和22年(1947年)、日本国憲法の「個人の尊厳と両性の本質的平等」の理念のもとで民法が改正され、家督相続を含む家制度は法律上廃止されました。相続財産は法定相続人で分割するという、現在の均分相続の考え方に切り替わったのです。

制度としての家督相続は、この時点で完全になくなりました。しかし、法律が変わっても、人々の意識まで一夜にして変わったわけではありません。

意識の中で生き続けた「長男が継ぐ」感覚

戦後生まれの世代であっても、「実家は長男が継ぐもの」「お墓や仏壇の管理は長男の役目」という感覚を、親や祖父母から自然に受け継いできた人は多いはずです。

法定相続分としては兄弟姉妹が均等に権利を持つにもかかわらず、実際の相続の場面では「なんとなく長男に多めに」「長男が実家に住んでいるから仕方ない」という空気で話が進められてきました。この「制度なき慣習」が、遺言書を「わざわざ用意するもの」ではなく「なくても何とかなるもの」という感覚を、現代まで温存させてきたといえます。


遺言先進国イギリス——遺言書は「紳士のたしなみ」

生前に準備するのが当然という文化

視点を海外に移すと、まったく異なる相続文化が見えてきます。イギリスでは、遺言書を作成することは特別な行為ではなく、大人としての基本的なたしなみとされてきました。「遺言なくして紳士たりえず」という感覚が、階層を問わず社会に浸透しているのです。

背景には、遺言書がない場合の手続きが非常に煩雑であるという法制度上の事情があります。遺言がない状態で相続が発生すると、法定相続のルールに従って財産を分配する手続き(Intestacy)を踏む必要があり、時間も費用も大きくかかります。だからこそ、生前に遺言を用意しておくことが、家族への当然の配慮として根づいているのです。

遺言は「家族への準備」という価値観

イギリスにおける遺言書は、財産を守るための法的書類であると同時に、残される家族の負担を減らすための思いやりの表現でもあります。日本のように「縁起が悪い」「死を意識させる」といったタブー感は薄く、成人したら早めに用意しておくべきものという実務的な感覚が一般的です。


アメリカの「リビングトラスト」文化——遺言は自己責任の当然の準備

生前信託という選択肢

アメリカでも、遺言書(Will)の作成率は日本よりはるかに高く、20代の若い世代でも約2割が作成しているというデータがあります。さらに資産を持つ層では、「リビングトラスト(生前信託)」という仕組みを活用するケースも一般的です。

リビングトラストとは、生前に自分の財産を信託に移し、本人が生きている間は管理・運用を続けながら、死後は指定した受益者へスムーズに引き継がれる仕組みです。裁判所の検認手続き(プロベート)を経ずに財産を移転できるため、時間や費用、プライバシーの面で大きなメリットがあります。

「自分の資産は自分で設計する」という前提

アメリカの相続文化に共通しているのは、「自分の財産をどう引き継ぐかは、自分自身で設計するもの」という自己責任の考え方です。国や家族任せにせず、専門家(エステートプランナーや弁護士)と相談しながら生前に対策を講じることが、社会人としての当然の準備と捉えられています。


数字が語る差——日本の遺言書作成率は欧米の何分の一か

日本と欧米の遺言書作成率を比べると、その差は歴然としています。

国・地域 遺言書作成率の目安 特徴
日本 約7〜15%(公正証書遺言のみで7〜8%程度) 高齢者でも作成率は低水準
アメリカ・イギリス 過半数(米国20代でも約20%) 生前準備が社会的な当然の行動
ドイツ 約20〜30% 法定相続人の権利が強く任意性は高い
フランス 約15〜20% 法定相続人保護が手厚い制度設計

日本財団の意識調査でも、遺言書を作成している高齢者の割合は10〜15%程度と報告されています。2024年の死亡者数約161万8千人に対し、公正証書遺言の作成件数は約12万8千件にとどまり、割合にすると1割にも届きません。

欧米と日本の差を生んでいる要因は複数考えられますが、大きいのは「遺言=縁起が悪い」「死を意識する行為」という心理的タブー感、そして「家族だから話し合いで何とかなる」という和を重んじる価値観です。かつての家督相続のように、財産の行き先が暗黙のルールで決まっていた時代の名残が、現代の準備不足につながっているとも言えるでしょう。


家族が多様化した今、「なんとなく長男に」が通用しない

変わり続ける家族のかたち

家督相続が前提としていた「長男が家を継ぎ、他の家族はそれに従う」という家族像は、現代の日本社会にはもはや当てはまりません。

  • 核家族化 — 親と同居しない子どもが増え、「実家を継ぐ」という発想自体が薄れている
  • 離婚・再婚の増加 — 先妻・後妻の子どもが混在する家庭では、法定相続人の関係が複雑になる
  • おひとりさまの増加 — 未婚・死別で配偶者も子もいない場合、法定相続人は兄弟姉妹や甥姪にまで広がる
  • デジタル資産の登場 — ネット銀行口座、証券口座、暗号資産、SNSアカウントなど、実家の仏壇や土地とは性質の異なる財産が増えている

こうした変化により、「誰が何を継ぐか」を暗黙の了解だけで決められる家庭は、確実に少なくなっています。

「なんとなく」が通用しない具体的な理由

法定相続分は、配偶者と子ども、あるいは兄弟姉妹の間で均等に定められています。しかし、実家に同居して親の介護をしてきた子どもと、遠方で疎遠だった子どもが、法律上は同じ割合の権利を持つという状況も珍しくありません。

家督相続時代であれば「長男が継ぐ」の一言で片づいた場面が、現代では「なぜ自分だけ少ないのか」「介護の貢献はどう評価されるのか」という個別の事情をめぐる対立に発展しやすくなっているのです。

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「家」の感覚のまま相続すると起きる争族の具体例

「実家は長男が継ぐもの」という思い込みの衝突

長男が「自分が実家を継ぐのが当然」と考えている一方で、他の兄弟姉妹が「法定相続分どおりに分けるべき」と主張するケースは、相続トラブルの典型例です。不動産は現金のように簡単に分割できないため、「実家を売って分けるか」「長男が住み続けて他の兄弟に代償金を払うか」で対立が長期化しやすくなります。

再婚家庭・おひとりさまの想定外の相続人

再婚によって生まれた子ども同士が初対面のまま遺産分割協議に臨まなければならないケースや、おひとりさまの遺産が疎遠だった甥姪にまで及ぶケースなど、家督相続の発想では想定されていなかった相続人の組み合わせが、現代では当たり前に発生します。

デジタル資産が「争族」を長期化させる

ネット銀行の口座やSNSアカウント、暗号資産などは、実家の土地や仏壇と違って存在自体が家族に知られていないことがあります。パスワードが分からず口座凍結の解除に時間がかかったり、資産の存在自体が見落とされたりすることで、遺産分割協議が長期化するケースも増えています。

これらの事例に共通するのは、「家族だから話し合えば何とかなる」という楽観と、法定相続分という現実のズレです。遺言書があれば防げたはずの対立が、「なんとなく長男に」という古い感覚を引きずったまま放置されることで、深刻な争族に発展してしまうのです。


デジタル終活という新しい「準備」のかたち

家督相続という制度が消えた今、私たちは「誰が何を継ぐか」を自分自身で言葉にして残す必要がある時代を生きています。イギリスの「紳士のたしなみ」、アメリカの「リビングトラスト」に共通するのは、相続を家族任せにせず、生前に自分の意思を形にしておくという姿勢です。

とはいえ、「遺言書を書く」ことへのハードルを一気に飛び越えるのは簡単ではありません。まずは、預金口座・不動産・デジタル資産・家族関係といった情報を整理するところから始めるのも一つの方法です。

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よくある質問

Q1. 家督相続と現在の法定相続分は何が違うのですか?

家督相続は、長男などの家督相続人が財産と戸主の地位を単独で引き継ぐ制度でした。現在の民法では、配偶者や子ども(または兄弟姉妹など)が法律で定められた割合(法定相続分)に応じて財産を分割して相続します。単独相続から均分相続への転換が、最大の違いです。

Q2. 遺言書がないと必ず相続トラブルになるのでしょうか?

必ずトラブルになるわけではありませんが、遺言書がない場合は相続人全員の合意による遺産分割協議が必要になります。不動産のように分割しにくい財産がある場合や、相続人同士の関係が複雑な場合は、協議が難航しやすくなります。

Q3. 公正証書遺言と自筆証書遺言、どちらを選べばよいですか?

確実性を重視するなら公正証書遺言、手軽さを重視するなら自筆証書遺言(法務局保管制度を利用すればより安全)が選択肢になります。ご自身の財産状況や家族関係に応じて、専門家に相談しながら決めることをおすすめします。

Q4. デジタル資産も遺言書に書いておく必要がありますか?

ネット銀行口座や証券口座、暗号資産などのデジタル資産は、家族が存在を把握していないと相続手続きが滞る原因になります。遺言書やエンディングノートに、資産の種類と保管場所(パスワード管理サービスなど)の所在を残しておくことが望ましいとされています。

Q5. おひとりさまでも遺言書は必要ですか?

配偶者も子どももいない場合、法定相続人は兄弟姉妹やその子ども(甥姪)にまで及びます。関係が疎遠な場合ほど、遺産分割協議がまとまりにくくなる傾向があるため、遺言書によって財産の行き先を明確にしておく意義は大きいといえます。

Q6. 遺言書を書くタイミングに決まりはありますか?

法律上の年齢制限は満15歳以上とされていますが、実務上は「元気なうちに」書くことが推奨されます。判断能力に不安が生じてからでは、有効な遺言書を作成することが難しくなるためです。


まとめ——「家」の時代から「個人」の時代の相続へ

日本で遺言書が普及してこなかった背景には、「家」の財産は家が引き継ぐという家督相続の発想が長く社会に根づいていたという歴史があります。制度としての家督相続は戦後に廃止されましたが、「なんとなく長男に」という感覚は、形を変えながら現代にも残り続けています。

一方で、核家族化・離婚や再婚の増加・おひとりさまの増加・デジタル資産の登場によって、家族のかたちはかつてないほど多様化しました。イギリスの「紳士のたしなみ」、アメリカの「リビングトラスト」が示すように、相続を家族任せにせず自分の意思で準備しておくという文化を、日本もそろそろ取り入れる時期に来ているのではないでしょうか。

「うちは大丈夫」という楽観が、深刻な争族の引き金になる前に、まずは財産と家族関係の整理から始めてみませんか。

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参考・出典
– 法務省 相続関連情報: https://www.moj.go.jp/
– 日本公証人連合会: https://www.koshonin.gr.jp/
– 国税庁 相続税関連情報: https://www.nta.go.jp/

監修・執筆: DEN編集部(相続・終活分野の専門家監修のもと作成)
公開日: 2026年7月3日 最終確認日: 2026年7月3日

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